「息子を捜してください」と 両親の相談。
その顔に刻み込まれた深いしわと無雑作な白髪は、年齢よりかなり老けて見えた。
特に母親は、つえがないと歩行もままならない。
息子は、都内の一流大学を卒業し、銀行へ就職した。

地元ではこれほどの秀才はいなかったと誰もが認めるほど勉強ができた。
優しく、争いごとが嫌いで、極端に気の弱いところがあったと振り返る。

その息子が28歳の時、関西の支店に異動になった。
それが、15年前のこと。

それから 半年後、息子の上司からの電話「息子さんが、ここ2日間無断欠勤しています。
寮にもいません。実家では?」。

まさに青天のへきれき。
翌日には関西に飛んで、説明を受けた。

それは、取引先とのささいなあつれきから関係がこじ れ、窓口で叱責(しっせき)を受けたことをことのほか気にしていたという。その翌日から顔を出していない。

とりあえず警察に届出を出しただけだった。途方に暮れた。

しかし、ふと頭をかすめたことがあった。それは、仕送り用にと学生時代から息子に持たせてある父親名義の郵便貯金のキャシュカードだ。
通帳は父親が持っている。
もしかしたらとその通帳ATMに通した。

その記帳記録は、息子が貯めたであろう数百万円単位の大金が数十回にわけて入金されていた。
自分の勤務する銀行の給与口座から引き出し移したのだろう。
頭のいい息子のこと、それは「生きている」というメッセージを送っていたのかもしれないと父親は涙にくれた。
父親は通帳記帳が日課となった。

それから1年あまり。
足取りを追うと、北海道~東北~ 北陸~四国~九州などで引き出している。

そして残高も少なくなり、やっと落ち着 いたのが、沖縄だったという。

沖縄は、大学合格の祝いとして、初めて飛行機に乗った家族旅行の場所だった。
その時のものです、と手渡された写真には、首里城で満面の笑みを浮かべる息子がいた。

それから両親は、手がかりをきらすまいと、毎月8万円を1年間振り込み続けてきた。
ここ5年間は、那覇市内の郵便局で引き出されている。

「息子に逢いたい」「息子を捜して連れて帰ってください」と託された。

GKグループ の総力を結集した捜索が始まった。
そして5日後、息子を確保した。
ホームレスと見間違うくらい変わり果てていた。

「見つけてくれてありがとうございます。親に申し訳なくて、帰るに帰れませんでした」とうつむいた。
父親に電話した。
息子に代わる。
沈黙が続く。 そして、「ごめんなさい」と。
翌日、連れて帰った。
玄関に出迎えた父親に涙はなかった。その代わりに、親子の愛情に裏打ちされた照れがあった。
15年の歳月は、時空を超えてなんの躊躇(ちゅうちょ)もなく親子に戻った。

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