3度目の相談に来た20代の妻と母親、そして5歳になる娘。
相談内容は夫の浮気と言葉のDV。
離婚を決意したと いう凛(りん)とした妻の顔は、明らかに過去の相談の時とは違う強い意志をまとっていた。
夫は職人としての道を進み独立。
小さいながらも社長として人を雇うまでになった。
夫とは高校時代の同級生で、20歳で妊娠そして結婚。
娘は軽度の障害児として生まれてきた。
妻は育児に追われながらも内職をし、夜はパチンコ店の清掃の仕事で家計を助け、頑張る夫を支えてきた。
そして2年前、 夫の職人としての腕にほれ込んだ人たちと信頼関係が生まれ、独立したいという夢を実現させた。
仕事は順風満帆、急激な成長を遂げ、収入も見習い時代から雇われ時代に比べると飛躍的に増えた。
しかしこの「金」が夫を狂わせ、徐々に変化の兆しが見え始めてきた。
高級外車を購入し、繁華街通いも増え、意見するものなら、「これだけ稼いでんだ!文句言うな!」と罵倒 (ばとう)される。浮気を追求すれば、「人が必死で働いてんのに、ふけたこと言うんじゃねぇよ!」と逆ギレされる。
母親に相談するものの、「短気を起こさずに、夫に居心地のいい家庭ということを植え付ければ、遊びに飽きて元通りになるから、しばらくは子供のためにも我慢しなさい」と説得された。
それから1年。
期待に反し夫は増長し続け、帰宅しない日も増えていった。
ひたむきな時代には、お金はなくても愛情があふれていたのに・・・。
どんなに苦しくても家族とのかけがえのない時間が あったのに・・・。と妻は涙に むせぶ。
離婚への決め手となったのは、娘に対しての言動や仕打ち。
しかし娘はどんなに理不尽な扱いを受けようとも、愛情を注いでくれた時代の残像そのままに「パパ」とすがりついた。
いじらしかった。
なのに、夫はかまってあげるどころか、虐待にも勝るとも劣らないことをした。
挙句の果てに、子供が障害を背負ってきたのはお前のせいだとまで罵倒された。
妻は耳を疑った。
そこまでされても不思議と夫のことは嫌いになれなかった。
自分が悪かったのだと日々自分を責め続け、心療内科にも通った。
そして、茨城に住む大好きな祖母から言われた、「”真実”と向き合いなさい。それにはまず真実を知ること。真実から眼をそむけないこと」という言葉が妻を奮い立たせた。
泣き寝入りは絶対にしない。
私が強くならなければ、娘につらい人生を背負わせてしまうのだからと。
気付けば、同じような境遇に身を置いたことのある女性スタッフも涙に濡れていた。
探偵たちの、妻と娘の人生を左右するという想いを胸に刻んでの調査が始まった…。
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