「娘はどこで、どんな生活をしているのでしょうか?」
60歳になる母親は今から40年前、20歳の看護学生だったとき、東北地方から働きにきていた男性と恋に落ちて結婚した。夫は長男で、父親が体調を崩したのをきっかけに実家に戻ることになった。
夫の実家は兼業農家。義父は農閑期になると近くの工場期間従業員として働きに出ていたが、糖尿病を患い、働けなくなった。舅(しゅうと)・姑(しゅうとめ)との同居生活が始まる。その地区は農山村地域で、古い習慣としきたり、そして、「嫁」は労働力であり、跡取りを産むという絶対的な義務が存在していた。
嫁は農家の仕事を手伝い、農閑期には外に働きに出た。休む暇もなく働かなくてはならなかった。心のよりどころは、夫の優しさと愛情だけだった。姑の厳しさに耐えられたのも、ただ夫の温もりがあったからだと、昔を回顧する。依頼人の目から一筋の涙が頬を伝わる。過度の労働とストレスからなのだろうか、子宝には恵まれず、姑や親族からのプレッシャーも日を増すごとに強くなっ ていく。そして4年の月日が流れ、待望の子を出産できた。愛らしい娘だった。
しかし、本当の苦難はここから始まる。
産後の肥立ちが悪く、婦人科系の病気を患い、入退院と自宅療養が続いた。舅姑はもとより、親族からのあからさまな悪口雑言から精神的に追い詰められていった。次第に夫の心も離れていき、娘が2歳になったばかりのとき、半ば強引に離婚させられた。もちろん娘は、夫の実家が手離さなかった。両親に迎えに来てもらい、故郷に戻る道のつらく苦しい思いは 鮮明に残っている。
地元に戻り、体調が回復すると、つらい過去を払拭(ふっしょく)しようと、一度はあきらめた看護師への道を志した。
それから3年、すべての過去を受け入れてくれた男性と再婚。2人の子どもにも恵まれ、 幸せな日々が続いた。子どもたちが独立し、夫も定年間近になったある日。
夫から思いがけない話が。
「娘のことが気がかりじゃないか?後悔しないようにしたほうがいい」夫や子どもたちに悟られまいと、心の奥底に封印していた娘への思いが怒涛のごとく押し寄せた・・・。 封印が解けた。夫の思いやりに感謝した・・・。しかし、依頼を受けるにあたり不安もある。
これまで幾人もの肉親を探してきたが、現実はテレビ番組のような、「お涙ちょうだい」とばかりにはいかないのだ。娘が幸せに生活しているとは限らない。その覚悟を確認した。すると、依頼人はある作家の本に書かれていたとこう話す。
「やりたいことをやればよかったという後悔の傷は癒えない。やりたいと思ったことをやって後悔してもその傷は癒える」
40年の時空を超えた調査が始まった。